20世紀後半
画像左側が2012年頃のGM。右側が1990年当時の住宅地図。かつては日本橋倉庫(株)大府営業所であったことが分かる。
現在のGM大府花咲台が建っている場所は、
かつては工場地帯の一角であり、
その場所には「日本橋倉庫(株)大府営業所」が存在していた。
その「日本橋倉庫(株)」の前進は、「都築紡績(株)」であり、
都築紡績(株)が昭和38年4月に日本橋倉庫(株)に買収される形となって、
その後の昭和44年4月に、この地大府に営業所を構えたことが、
グランドメゾン大府花咲台が誕生する始まりの切っ掛けと言えよう。
この「日本橋倉庫(株)大府営業所」は、
平成8年(1996)3月に閉鎖されることとなった。
21世紀初頭
マンション竣工当時のカラソ一帯の土地。右手奥にポンプ場が見えるが、リソラ大府は、まだ姿形もない。
1996年の日本橋倉庫(株)大府営業所閉鎖以降、
ここ周辺の土地は、しばらく何にも活用されない期間が続くこととなる。
しかし、どの様な経緯かは分からないが、
積水ハウス(株)が、この周辺の土地一帯を取得する運びとなった。
そして、
積水ハウス(株)が、
この周辺を大規模な住宅地にする計画を立て、
その計画の一環が「グリーンフィル大府・花咲台」であったのだ。
2000年9月11日、東海豪雨。
2000年当時の航空写真。石ヶ瀬川・境川・五ヶ村川・逢妻川が合流する辺り
さて、
ここでどうしても触れておかないといけない出来事がある。
そう、「東海豪雨」である。
21世紀に入り、
子供の頃から夢見てきた未来の世界が少し近付いてきたなと感じる世紀初頭。
まだ夏の余韻も冷めやらぬ初秋に、その出来事は起こった。
前日から降ったり止んだりの雨であったが、
9.11当日は、朝から小降りの雨が続いていた。
昼過ぎになっても、雨脚が弱まる気配もなく、
ただ、いつも通りの雨が長く続いている印象であったのを覚えている。
夕方になり、 更に雨脚が強くなり、 辺りの道路が水浸しになってきた。
この時間帯くらいから、 各テレビ局やラジオが川の増水による氾濫を注意喚起するようになる。
そしてついに、
名古屋市西部を流れる新川堤防が100mにも渡って破堤。
すぐ東側に流れている庄内川の影響も有り、
西枇杷島町一帯の19㎢を飲み込む浸水被害となってしまった。
更に天白川の流域も増水により、
野波地区が広範囲にわたり浸水被害を被ることになってしまった。
正に街一帯が海と化した瞬間であったのだ。
こちらのサイトに多数の画像が残っているので参照されたし。
http://www.idokane.com/pg212.html
上記2ヶ所より小規模であるが、
当グランドメゾン一帯の大府町(2000年当時)地区も甚大な浸水被害を被る。
2000.09.11
近くを南北に流れる「鞍流瀬川」が氾濫。
以前の鞍流瀬川東側は、 川の水面よりも低くあり、ある種の溜池的条件にあった。
しかしながら、 当時のカラソ地区では、宅地造成工事が行われていた。
その結果、土地の高さが上がり、
鞍流瀬川西岸の方が低い土地となっていたのだ。
このカラソ西側の土地は、 大府町の区域でも一番低い場所に当たっていたので、
他の区域からの雨水が逃げ場を失い、 現在の江端町2丁目付近が甚大な浸水被害を受けることとなった。
当時の様子を被害の大きかった店舗の方に聞いてみた。
「あの時は、連日続く雨により、既に鞍流瀬川が増水状態だった。そこに加えて、他の地域からの雨水が店舗内へ流れ込み、あれよあれよという間に浸水した。ついには、2階建て店舗の1階部分が完全にのみ込まれてしまった。1階にあった厨房機器は壊滅で、相当な被害を受けてしまった。」
「その時の水位の目印が、あれだっ。」
と、その印を打った赤いテープを見せて貰ったが、 優に3m近くもある場所であった。
その高さを見て、改めて被害のすさまじさを知った次第である。
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因みにこちらの店舗は、「まるはち」さんである。
今では、すっかりきれいに改装されていて、 その当時の被害を伺い知ることは出来ないが、 その赤いテープを見に行くと、 あの日の恐ろしさを少しは実感できるのではなかろうか。
化学調味料に頼らない本格派の味なので、
ぜひ一度、御賞味頂いて店内の水位テープを見て欲しい。
どれを食べても外しはないが、
おすすめをあげるとすれば、
「小海老の天麩羅入り餡かけうどん」と「カツ入りカレーうどん」である。
どちらも和風出汁が秀逸である。
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そして、
この東海豪雨の教訓を活かし、
当グランドメゾン周辺の土地は、
豪雨時の浸水位にまで嵩を増し、造成されることとなった。
つまり、現状では、
150年に一度と言われる「東海豪雨」規模の雨が降っても、
大丈夫ということになっている。
マンションと戸建て群の着工、そして竣工。
何はともあれ、
グランドメゾン大府花咲台と戸建て群の花咲台は着工されることとなった。
一部、マンション建設反対の張り紙も見られたそうだが、
無事に平成15年の3月に竣工を迎えることとなった。